卵といえば、スクランブルエッグ?卵焼き?半熟卵?オムライス?もしくは味付け卵?スーパーで見かける卵はそうだけど、うちでは、卵はひよこ。卵=ひよこ=親鳥=卵 彼女たち自体で命を育んでくれているからこその、卵料理。孵卵器も!電気も!必要なく、裸一貫で生きているからこそ、繋がっていく奇跡。何度見ても感動のひよこちゃんたち。カラスたちに喰われないことを願うばかり。おおよそ21日間座り続け温め続けた母ちゃん。かっこよすぎ。
アザミの棘とのかさなり
あざみ。棘があるので毒草なのでは…とつい思われがちだが、実は毒はなくて花が咲くととても美しく、食べることもできる(ちなみに山羊たちは、じょりじょり食べる。あんなに鋭い棘に対して、口周りの皮膚はふにょふにょでとても柔らかいのに、なぜ痛くないのか不思議) これでもか、ほどの猛烈な葉っぱの張りと棘だけれども、切って少し時間が経つと嘘のように、棘がしんにゃり。柔らかくなる。4月のあたま。しばらく完全なる春休み。をとったら、私の頭の中もしんにゃり。になった。アザミの棘も、私の棘も、自分防衛。時間でしんにゃりしたら、見えたいろいろ。アザミは癖もなくて食べやすい。さて。人間は食べやすいのだろうか。
菜の花の上で昼寝
菜の花の森があるなんて、小さなアリエッティがうらやましい。葉の花もそろそろ見納め。雨上がりの爽やかな陽射しと暖かな風に、今までで1番美しく黄色に輝いている今日。菜の花の花びらの上で昼寝がしたい。
よもぎ:すぎな
春先。山菜にも想い寄せつつ、その前にもっと大切な薬草採取。つくしは食べて、すぎなはお茶用に陰干し。よもぎは、お茶におやつに、よもぎ油に。摘んでる時が、最も気持ちよい。おまけに出来上がってくる乾燥薬草たち。作業途中の摘んでよし。結果の食してよし。おまけにお財布にもよし。
春分の日産まれ
春分の日産まれ。昼雨ちゃんと夜雨くん。ひめちゃん と よさめくん。生きのびるってゆうのは奇跡の中の奇跡。答えや結果があることに、無意識に期待しがちな自分を、運命とゆう、誰も決められないような命で、そうじゃないことだって多くある、って成してゆくことの大切さを教えてくれる。躍動溢れる走り。おっぱいを飲む時のこれ以上ない尻尾フリフリ。眠っている時の安堵の顔。どれをとっても溢れ出るエネルギー。漏れ出ているエネルギーをもちろん拾っている私。あー。可愛すぎる。
かづゑ的
1冊の本から始まったものがたり。の。つづきのものがたり。数日前に映画を観てきたことを記しておこうと思って以前の記憶に思い巡らせたらば…。2022年4月4日に最初の記錄→長島へ そして。偶然の2年後の4月4日。瀬戸内の透き通った凪のきらきら光る海へ心再び。
長い道、私は一本の木、の2冊の本を読んで長島へ。2年後、映像のかづゑ的。かづゑさんの存在を知って、身体、心\脳、魂\エネルギーの3つのバランスについて、問いかけがうまれた。以前の私は、大きな円の中にたくさんの要素があって、その中で、上にあげた3個の要素が正三角形を成すことで。健やかなる人を形成すると思っていたのだが、必ずしも均一に三角形であることが、健やかに当てはまらない。とゆうこと。生き物は全て、エネルギー体であって、肉体であって、魂体。全てが補い合って自分。なんだ、と。情けない自分も、強い自分も、許しをこう自分も、さらけ出している人の方が、健全なのも、きっと、そのバランスが良くなるのかな。今までの私。では、向かう道が違ってしまうと気づかせてくれた、宮崎かづゑさん。多くの人が、光の道筋照らしてもらったのではないかと思う。長島。また行きたいな。
::: かづゑ的/公式HP :::
海亀とラクダ
春の海行事。今回は夜な夜な薪でぼぅぼぅ。海に行くと毎回驚く、浜にうちあげられたゴミの量。燃えるゴミ2袋、ペットボトル1袋がものの10分でいっぱい。自然界で時間が経過しても何が原型とどめてまずいことになっているかについて考えるなら 公共のお掃除さんが入らない海辺に行くといい。ほとんどがプラスチックゴミ。全部拾いたいけれど、量が多すぎて全部拾えないので、優先的に拾ったほうがよさそうなもの、を子供たちに考えてもらって拾ってゆく。拾ってゆくうちに、不思議と楽しさも芽生えてずんずん進むゴミ拾い。海はそんな感じで、ペットボトルと同じ材質の服が砂漠に山盛り。海でもない砂漠でもない所の身の回りから、もういらないわ!とその場からはなくなった石油由来の物が、世界のどこかに吹き溜まっている。海亀は立派な甲羅着てるし、ラクダは、ペットボトルなんかなくても自前の水分油分蓄えこぶがある。とゆうのに。
草花遊ビスケット
お客様が来るので、子供たちとビスケットを作った。春の陽気を閉じ込めた くさばなあそビスケット。足元見れば、食べることのできる彩り豊かな草花たちが、私たちを、守ってくれている。
訳あり人間
訳ありいちご。いちごからしても、私からしても、訳なんてないのだが。いちごはいちご。箱いっぱいの真っ赤ないちごちゃんを残り何個か気にせずいただける喜びときたら!脳内ホルモンが、ダダ漏れてしまっていること間違いない。最近、1995年出版ベストセラーになった脳内革命。をたまたま無料で手にして、読んでみた。1995年。神戸の震災があった年。世の中的にも大きな揺らぎがあり、生きるってことを問われた時代だったはず。たくさんの人が読んで、みんなが実践していたら、今の様な日本よりは随分ましな世の中かもしれないな、なんて思ってしまった。ヨガからはじまり、身体を軸に、見ていっていたら、環境へ、そしたら思想、自ずと心に向かっていって、その先は、脳のことにも気になり始め、完璧な調和だけが平和じゃないことも、不調和があって、調和に向かうことも、なんだかんだ、と、1995年出版の脳内革命が、今の私にはとても腑に落ちる内容だった。いちごそのままが、右脳で美味しいと思う直感こそ、脳内革命の最先端。気持ちいい、心地よい、美味しい、美しい、脳が記憶すると良いホルモンがでて、卑屈になればなるほど体内が毒素で覆われてしまうらしい。感覚では理解しているつもりと思い込んでいた事が、理論的にももう少し深く理解できて、知れば知るほど、人間そのものの構造スペックは本当にすごい。こんなに艶やかないちごが訳あり分類されるのなら、人間は、皆、訳あり人間。ってとこで、ゆるく生きていける。
静かな熟成のはじまり
糀作り、エピソード2。前回分は全て味噌に仕込み、その後もう1回糀仕込み、完成後…。自家製みりん3年後へ熟成はじまり。うっかり入れっぱなしの保存さんたちの瓶を、減っているものは小さい瓶へあれこれ入れ替えたりしつつ、整理ができるのも、作る準備として良い流れ。味噌や、砂糖漬け、柿酢のように、うっかりしてるとボフッと!発酵してしまうエネルギッシュな熟成と違って、実に静かに凛と熟成してゆくみりん。色が琥珀色に変わってゆく様も、とても美しい。3年後。私はどこでどんな暮らしをしているのかしら。未来の自分へのタイムカプセルのような、保存食づくり。誰にも判断されない喜びと、確かな経験が積み上がっていったさき、身体に入れ込んで体得。この流れ、が何よりよい。
今年の糀作りは薪も選んだ
さてさて。ここ数日、糀の甘い香りが部屋を漂っていて、まとわりつく匂いが心地よく。味噌用の大豆を煮ている今日。毎年、春先に始まる米、大豆育てから、秋の収穫、冬の糀作りに味噌作り。もうすぐそこにはまた田んぼはじまり。と、あっとゆうまの巡る米時間。流れが、スキップのようにリズミカル。毎年、糀の米を蒸すときも大豆を茹でる時も、薪ストーブの上で作業するのだが、今年は、その薪にも、密かなこだわりを持ってやってみた。どこからやってきた燃料なのか。機械を使わず自分で裏山で拾った枝や、山羊の餌で残った枝や、竹など。歩いて自力で持って来れる距離のもの。に特化した。歩いて動ける範囲で暮らせる素材を与えてくれる、土、山、水があること、何より安堵感がある。
わらいずみ
直径/高さ40㌢の藁の入れ物。名前は[わらいずみ]とゆうらしい。お櫃の保温庫である。天然素材でこさえられた昔の農具とか暮らしの道具とか、用途も名前も知らない物も、美しく想う。何故か惹かれてしまうので、古いし要らないとゆうのを、引き取っていってたらいつのまにか、ちょっとした民族博物館…。お櫃の保温はしないけど、湯たんぽや、冬の麹作りの時に活躍してくれる現役で、数日前、麹作りに使った後、干してたら、気づくと猫…!うっかり入りたくなるよなぁ。私だって、もっと大きければ入って眠りたい。さぞがしうっとりと気分がいいことだろう。
野生的な感情
季節の木々草花。自分の足で歩いて、美しいと思った感情と一緒に、目の前の命を、ハサミで切り取って、花卉にいけられる人にちょっと憧れがある。そのまま大地にいてもらう方が本望な気がするが、恩恵をもっていけられたものを目にすると、お店の中でも、家の中でもハッとする空間がそこに生まれていて、その周りはちゃんと風が吹いている感じがする。食べるために獲物を仕留めることに本質を感じているので、飾りのために切り取る、ことに、心が躊躇するので、あんまりしていないが、久しぶりに飾り花をしたら、すぐに息子が「うわ!この花きれい」と言った。この花なに?ではなく「綺麗だな」ってゆう気持ちが先に出てくるのは実に野生的な感覚だな、なんて思いながら…うん。確かに綺麗。
実であり種であり
ハヤトウリ。食べられる形で、そのまま種になる。形もとても美しい。サスティナブル&アート。わざわざ探さなくても、足元見れば、サスティナブルだからけのなかで、どこを見渡してもアートだらけの世界。そこで私たちは息をさせてもらっているんだな、と思う毎日。今年は、芽を出すのも、伸びるのもうんと早い。生きているアートたちが、変わっていくもの(温度や環境など)を制御して暮らそうとする人間にも平等に季節を運んできてくれる。尊い。ただただ、尊い。
猫は温度が見えるんじゃ…
今日は週に1回くらいしかつけないストーブ点火の日。点火するとすぐ寄ってくる猫たち。温度が見えるのかな。じんわり熱を感じるところまでが、猫ラインでわかって良い。こっち側もあっち側もあたたかいわけで、こっち側のじんわり熱伝わるラインが満席ゆえ、入れなかった方が、あちらに……。
灰色の宝石こんにゃく
10年前、初めて手作りされたこんにゃくを食べて驚いた。弾力も味も、市販されているあのこんにゃくとはまるで別人で、とても、とっても旨い。いつか、こんにゃくを作ってみたいと想いが芽生えたこんにゃく事件だった。こんにゃくは、芋からできている。そんなこと学校で習わないし、知らなかった…でもって、こんにゃく芋は種芋植えてから3年くらいした10-15センチくらいのものじゃないと、こんにゃくにしないのも。知らなかったぞー!で。数年前から育ててみたけど、いつ間にか無くなってしまったりで、やっと!できた!やっと光を浴びたこんにゃく芋ちゃん。芋はできた、じゃどうやって作るのか。こんにゃく芋と灰汁が混ざってできてることも……勿論随分前は知らなかったわけで、要は問わなかった自分が恥ずかしい。2023年の大豆の殻燃やして灰汁を作って、芋と灰汁だけでできる。シンプルな材料にシンプルな工程だが、なんと長い年月と手間をかけてできる灰色の宝石。こんにゃくなのである。初こんにゃく。結果はちょっとゆるくて、あの感動的なこんにゃく、にはならなかった、ので、灰汁をもっと濃ゆいのを作ることと、割合バランスが次回の課題。それでも、年月と手間が織り込まれた初こんにゃくは、私にとっては間違いなく宝石になった。食べて無くなっちゃうからなおのこと愛おしい。
小雨と時雨
最近、小雨ちゃんは干し草をこんな風につけていることが多い。何がついてようが美しいなぁ。今冬は大きな干し草の塊をもらって、その中に顔を突っ込んで食べている。でも、やっぱり好きなのは青草。竹の葉っぱもむしゃむしゃ食べる。しゅろだって、バリバリ食べる。小雨のこども、時雨ちゃん。ちょっと前まで窓からは顔が見えなかったのに、最近はちょっこり見えるまで成長。
何鳥さん?
誰か気づくかな、この子は烏骨鶏だってこと。息子は気づいてた。爪が5本あるってこと。着ないジーンズ生地のジャケットアップサイクル。子供にこれつかう?って聞いたら、僕も、私も、もうバッグはあるから。と…。私もあるけどつくちゃったんだよぅ。
2㎝の宇宙
1961年/地球は碧かった。2024年/苔は水の結晶を纏い輝いていた。たった2㎝まるこい神秘の宇宙。大きな宇宙でも小さな宇宙でも知らないことだらけ。見ようとすれば見えるけど、気にしていないと気づけない、誰もの側らにある小さな宇宙に無限大の広がり……
ねこもり
ねこ。もりもり。あっとゆうまに山盛り。あたたかいって気持ちいいもん。